つねにどこかの場所にいる


 私たちは日々、自らの身体を通して、つねにどこかの場所にいる。

ときに意識的に自ら望んで、あるいは無意識的にさしたる理由もなく、

さまざまな場所にとどまったり移動したりすることを継続している。

 そのうちのどこかの場所が、自らの心の働きによって、何らかの

特別なニュアンスを帯びるということが起こる。

ほんのささやかなものであったとしても、こうした心の働きによって、

自らにとって特別な場所が創られていく。

 特別な場所は、どこかの街や建物や部屋の中のようなひとまとまりの

場所であるばかりでなく、散歩コースやドライブコースのようなものである

かも知れない。都市の中かも知れないし、自然環境の中であるかも知れない。

自らの身体がじっと静止した状態の場合もあれば、何らかの運動状態

にあるかも知れない。歩く、走る、乗り物に乗っているなど。

様々な個人それぞれに、いくつもの特別な場所があり得るだろう。

特別になり得る場所は無数にあり、それを特別にするための変数とその組み合

わせも無数にある。(季節、天候、時間、気分、誰と居るのか、一人で居る

のか、運動状態、記憶の中の履歴...)

 いずれにしても、特別な場所に居るとき、それはその都度、物理的に

限られた、限定された場所に居るということだ。無数の場所に同時に存在する

ことはできない。私たちの身体は有限な個体であるからである。

 しかし一方、ひとつの特別な場所の体験が重ねられることで、同じ

場所であっても、その場所が持つ特別さのニュアンスをつくり出している

変数とその組み合わせに変化が起こる。

その都度、その場所を訪れる度に無限に更新され得るだろうし、

その変化・更新を受け入れることが心地よい体験になり得る。

何度も通ってしまう場所や、長く頼りにして愛用しているといったものを

皆持ち合わせているのではないだろうか。

 あるいは、様々な想いや考えを言葉に託して誰かに伝えるとき、

伝えきれない想いが残るということがあったとしても、言葉の選択を

変えてみて、何度も伝え続けることは可能かも知れない。


 言葉の研ぎ澄まされた表現の中に、例えば文学の妙味がある。



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